※漆黒のネタバレご注意ください。
はじめに
本稿は、FF14の世界観を仏教の方面から捉え直すことを目的とする。
FF14の宗教に着目したものとしては、kaede氏の一連の論考(例えば「エオルゼア十二神の相関関係から見る光と闇」など)があり、漆黒以降の世界観を予測したものとして、その意義は十二分評価に値する。
一方で、宗教というものについて、もう少し深く掘り下げる必要はなかったのか、という疑問も生じる。確かに、私もkaede氏も宗教学については門外漢である。専門分野からFF14を語ることにも意義はあろう(kaede氏「FF14と歴史学」)。
しかしながら、kaede氏は「エオルゼアで学問する」ということを謳っていた人物でもある。また、実際の講義でFF14を素材に話がしたいとも言っていた。大学教員は研究者であると同時に教育者でもある。授業の形としては、kaede氏が行ったFF14を自身の専門分野に引き付けて講義をする、というだけでなく、学生がFF14をプレイするなかで、疑問に思ったことや印象に残ったことを、自身でさらに学び研究する、ということも可能である。すなわち、FF14でアクティブラーニングを行わせることが可能である、という点を強調しておきたい。
FF14には、興味関心を喚起する内容が豊富に存在する。FF14を契機に、新たな学問分野への扉を開く、ということも大いにあり得る。私の場合は、それが「仏教」であった。
漆黒のメインストーリーでやたらと強調されていた「縁」。一般教養として、「縁」が仏教思想として重要なものであることは知っている。しかし、それまでである。「縁」について、もっとしっかりと知る必要はないか。全く未知の学問分野ではあるが、それを知ることで視野は必ず広がるであろうし、FF14の世界観をより多角的視野から概観することもできるのではないか。そもそも、日本人のものの考え方の根底には仏教があるとも言われている。FF14の送り手側が日本人である以上、仏教的考え方が反映されていることは十分に考えられるのである。
そもそも、宗教とは人間の心に安心を与えることを根本目的とする。度重なる霊災を経験したFF14世界はまさに不安に包まれていた。蛮神の召喚方法も念頭に置くと、FF14世界において、宗教(信仰)の持つ意味合いは看過できない。『EE』(EncyclopediaEorzeaⅠ及びⅡ)で「十二神」や「エオルゼアの宗教」について、詳細な解説があるのは、その重要性を裏付けているためだと読み取るべきである。
検討方法としては、岩波の『仏教辞典』(岩波書店、1989年)を「あ行」から見ていき、FF14の世界観と関連がありそうな用語・考え方を抽出した。検討の結果、FF14の世界観と仏教思想は共鳴する点が多いことが判明した。以下、仏教用語を解説しつつ、FF14の世界観と結びつけて考察する。
※参考までに、膨大な活字ばかり読みたくない人や、初級者向けで分かりやすいものとして、『まんが仏教語辞典』(鈴木出版、1997年)がある。
◆因縁
・仏教思想の核心を示す語。
・因・・・事物が生起するための直接原因。
・縁・・・間接条件。
例)植物が発芽するための因(直接原因)は種。しかし、種があれば植物が発芽するかといえばそうではない。水分や気候、適当な温度など、発芽の因(種)を支えるさまざまな縁(間接条件)が必要。その因と縁を合わせて「因縁」という。
→漆黒のメインストーリー、巨大タロースを「縁」ある人々との協力関係で作り上げた、あの場面を思い起させる。縁はあくまで間接条件であった。
→縁の話を受けて、私はこれまで無視してきた新生編からのサブクエストを全て消化した。サブクエストもまた縁作りの一環なのである。仏教に由来することわざに「縁なき衆生は度し難し」というものがある。縁があって、はじめて人を救うことができる。縁のない人は、たとえお釈迦さまであっても、救いようがない。光の戦士も全ての人を救えるわけではない。ただ、出会った人は救いたい。その思いがサブクエストの消化に繋がったのである。
◆加護
・漢訳仏典では、神仏が力を加えて助け護る意で、八十華厳経27「諸仏の加護」や金光明最勝王経8「諸天の加護」などの用例が見える。
→FF14でも「光の加護」やら「イフリートの加護」のように頻繁に使われているが、仏教用語でもあったのかと得心。「神仏が力を加えて助け護る」という意味であることを、しっかり認識していたら、「光の加護」も神(仏)の加護であり、「蛮神=ハイデリン」の加護である、ということは指摘できたのかもしれない。
◆鏡像
・明治以後の用語で、鏡の表面に表した仏像のことをいい、転じてその鏡のことをもいう。
→「鏡像」も仏教用語。ずっと疑問だったのが、「鏡像世界」より「平行世界」の方が分かりやすいのになぁという点。わざわざ鏡像という語を使う意味をとは?製作陣に仏教(あるいは宗教全般)にも詳しい人がいるんじゃないのかと勘ぐってしまいたくなる。仏教用語が使用されている例は以下の如くたくさんある。
◆天眼
・詳しくは<天眼通>ともいう。<五眼>や<三明>の一つで、神通の一種。超人的な視力を指す。可視的な物質も突き通して見抜く視力。あらゆるものを見通す能力。
→私は「踊り子」なので、天眼の〇〇マテリジャをよく目にする。天眼という言葉も普段はあまり見聞きしない言葉。
◆紅蓮
・紅蓮地獄の略。『大毘婆沙論』172などでは八寒地獄中の第七に数えられる。紅の蓮華をいうが、そこでは、この花の開いたように、寒さのために身体の肉が裂けて血が流れる。
→「紅蓮」もそうなのかと驚愕。蓮は仏教にとって重要な意味を持つ植物。紅蓮自体にあまり良い意味合いがないというのも新たな発見。
◆黒衣
・黒色の僧衣のこと。転じて僧自体をさすこともある。
・<黒衣の宰相>は、僧籍にありながら国政を動かす大臣、またはそれに準ずる人物。
→「黒衣森」という言い回しにも引っかかるものがあった。また、アシエンが「黒の法衣」をまとう姿(EE1、14頁)と説明されていることから、黒衣森とアシエンの繋がりも未だにくさいと思っている。
→「僧籍にありながら国政を動かす」人物としては、カヌエセンナが想起される。カヌエを黒衣森の宰相と言っても、そこまで間違ってない気もする。
◆黒白
・一般に、<黒>(黒色・暗黒)は悪を象徴し、<白>(白色・光明)は善を象徴する。
・東アジア諸国において、修行僧が黒衣をまとい、在俗の人々が白衣をまとまったことから、<黒>と<白>が出家と在俗を象徴することもある。
→「数字」(後述)に加え、「色」もFF14の世界観を考える上でとても重要だと考えている。特に「黒」と「白」は象徴的で、アシエンにも「白法衣」をまとった者がいた。
◆精霊(しょうりょう)
・<聖霊>とも書く。宗教一般では共に<せいれい>と読む。精神・神識・霊・精ともいわれ、一般的には死者の霊魂のこと。
→前の世界観考察記事でも散々「精霊がとても大事!」と強調してきたが、精霊=死者の霊魂という捉え方はとても重要なんじゃないかと改めて。
→じゃあ誰の霊魂なのかというと、それはアシエン達古代人だったり、もっというと十四人委員会の誰かの霊魂だったりとか。
→ちなみに、辞書には「夜叉(ヤクシャ、<薬叉>と音写されることもある)」という森林に住む神霊についても解説がある。鬼神として恐ろしい半面、人に大なる恩恵をもたらす。ヤクシャは樹木と関係が深く、しばしば聖樹と共に図像化されている、という。
→「夜叉」と黒衣森の精霊の共通点は多い。また、黒衣森の精霊はノフィカから分かたれた存在だと言われているが(EE1、112頁)、ノフィカの意匠は「樹木」である。
◆竜
・蛇に似た形の一種の鬼神。インド神話におけるナーガは、蛇(特にコブラ)を神格化したもので、大海あるいは地底の世界に住むとされる人面蛇身の半神。
・中国でひとたび<竜>と漢訳されるや、鱗虫と長される中国古来の竜との習合を生み、特にその形状について、角と4本の手足をもつ中国的な竜のイメージで思い浮かべられるなど、大きく変容した。
・日本の竜神信仰もその影響下にあるが、水の神としての機能を強調する点に、なおインド的性格につながるものといえよう。
→以上の説明は、FF14世界のドラゴン族を考える際にとても重要な気がする。所謂、我々が一般にイメージする「バハムート」のようなドラゴンもいれば、蛇に近い「ミドガルズオルム」のドラゴンもいる。
→さらに、竜が「水の神」として捉えられていることも大変重要である。水神「リヴァイアサン」の容姿がドラゴン族に近いことは言うまでもない。
→さらにさらに、漆黒のサブクエストで登場した「ロンカの水蛇」を考える際にも有用であろう。「ロンカの水蛇?」がミニオンとして報酬にあったこともその重要性を裏付けている。
→シュナの「彼の言う「西の湖の大蛇」というのも、巨人ロツァトルと戦った、伝説の翼持ちし大蛇のことかしら」という言葉にある「伝説の翼持ちし大蛇」は、まさに『仏教辞典』で解説された元来の竜のことを指していると考えられるのである。
◆眷属
・仏教語としては主尊の従類の称で、薬師如来の十二神将、千手観音の二十八部衆などをいう。
※十二神将・・・薬師如来の眷属で、薬師の名号を受持し、衆生を護る役目をもつ。昼夜十二時の護法神として、十二支をこれらに配することも行われた。
→ドラゴン族の話の時に頻出した「眷属」。仏教語としての「眷属」を見てみると、「十二神」という言葉が!
→FF14世界において「12」という数字は「神の痕跡」と呼ばれる重要な数字(EE1、244頁)。そして、仏教用語においても、「12」は頻繁に使用される重要な数字であることが『仏教辞典』から浮き彫りになる(「十二因縁」など)。
→特に重要だと思われるのが、次の「十二天」である。
◆十二天
・12種の天部の神々で、それぞれに眷属衆を伴う。これは人間を取り囲む方角や地水火風などの宇宙的ないし自然的要素を神格化し、あるいはそれらに対する神格を配したもの。
・十二天の名をその居る方角、それらが統括する眷属の鬼霊と共に列挙すると次の通り。
1) 地天:下方、地上・樹下や砂漠に住する一切鬼神の主。
2)
水天:西方、諸々の河流江河・大海に棲む神や竜たちの主。
3) 火天:東南方、諸々の火神および持明者・仙人たちの主。
4) 風天:西北方、諸々の風神や無形流行神たちの主。
5) 伊舎那天:東北方、諸々の魔衆の主。
6) 帝釈天:東方、須弥山などの一切の山に居住する天神や鬼類の主。
7)
焔魔天:南方、地獄の冥官司令や行役の諸神・餓鬼の主。
8) 梵天:上方、色界静慮の一切諸天の主
9) 毘沙門天:北方、諸々の薬叉の主。
10) 羅刹天:西南方、諸々の羅刹の主
11) 日天:諸々の恒星・七曜・遊星など天空に居する一切の光神の主
12)
月天:住空二十八宿・十二宮神などの一切星宿神の主。
→kaede氏は「神の眷属」に注目すべきだと論じていたが(「FF14世界(三大州)における英雄信仰(光の戦士信仰)と神」)、「12種の天部の神々で、それぞれに眷属衆を伴う」という説明は、それを裏付けるものになるかもしれない。
→注目すべきは、「日天」と「月天」である。これはエオルゼア十二神の「日神アーゼマ」と「月神メネフィナ」に該当しないか。「日天」が「光神の主」であるという説明は、「日神アーゼマ」=光=光のハイデリンというkaede氏の指摘にも結び付く(前掲「エオルゼア十二神の相関関係から見る光と闇」)。同じく、「月天」が「〝星〟宿神の主」という説明は、「月神メネフィナ」=星=闇(星=闇は漆黒メインストーリーで語られていた)=闇のゾディアークと読みとくことも可能である。
→さらに注目して欲しいのが、十二天が配置された以下の曼荼羅である(薄くて申し訳ない)。エオルゼア十二神との位置関係を比較確認してほしい。
※『仏教辞典』878頁
※EE1、16~17頁
→曼荼羅の東(右)に配置されているのは、「火天」「日天」「地天」、西に配置されているのは「水天」「月天」「風天」である。エオルゼア十二神でも、右に配置されているのは、「火属性の神」「日神アーゼマ」「地属性の神」であり、左に配置されているのは、「水属性の神」「月神メネフィナ」「風属性の神」である。これは偶然の一致といえるのだろうか!?
◆薬師如来
・東宝の浄瑠璃世界の教主。12の大願を発し、衆生の病苦を除き、あんらくを与えるなど現世利益をもたらす仏。日光・月光菩薩を脇侍として<薬師三尊>となり、十二神将を眷属とする。薬師信仰も、日本・朝鮮・中国で盛ん。
→「十二神将」を眷属とする薬師如来は、日光・月光菩薩を脇侍とするという。これはただの妄想に過ぎないが、この薬師如来こそが、光の戦士の未来像のような気もする。
→「脇侍」とは「仏像(仏教彫刻)や絵画で中央に位置し信仰の中心となる仏の両脇に控えて中尊の補佐をする役目を持った仏の事」を指す。つまり、光(日天)のハイデリンと闇(月天)のゾディアークが、光の戦士を補佐する未来があるのではないかと妄想してしまうのである。当然、十二神をも眷属にしているのは言わずもがなである。
→また、薬師信仰があったように、第八霊災後の未来において「英雄信仰」があったことは、既に我々の知る所である。
水晶公「あなたという英雄の遺した足跡は、死してなお、人の希望であったのだ…と」
◆魂魄
・人間の身体に宿ってその活動をつかさどる神秘的な力、たましい。
・<魂>は人間の精神の働きをつかさどる陽気の神霊、<魄>は肉体をつかさどる陰気の神霊をいう。
・人が生きている間は魂魄はその身体にとどまっているが、死ぬと、身体から遊離して、魂は天に帰り、魄は地に帰ると考えられた。
・仏教では、霊魂(魂魄)を輪廻転生の主体としてとらえ、その永続不滅を主張した。
≪六道輪廻≫
・人間は何度も何度も生まれ変わるというのが輪廻。
・輪廻する世界は六つとされる。すなわち、天界―人間世界―修羅の世界―畜生界―餓鬼界―地獄界。これを「六道輪廻」という。仏教の死後の世界観。
→FF14世界の「生命の循環」(※1)と、仏教の輪廻転生の考え方が似ている点は言うまでもない。
(※1)「物質界で暮らす生命が命を散らすと、その魂を構成していたエーテルは、エーテル界へと還る。逆に新たな生命が誕生すると、エーテル界から生命エネルギーが物質界へと流れ込む。これが「生命の循環」と呼ばれる現象である」(EE1、10頁)
→ここで重要なのが、「六道輪廻」の「6」という数字である。FF14世界において、「6」という数字も「神の痕跡」と呼ばれる数字「12」の半分として特別視されている(EE1、244頁)。そして、「12」と同様に「6」に関する仏教用語も多い。以下に見ていこう。
◆六大
・あらゆる存在物を合成し、その本質を構成する地大・水大・火大・風大・空大・識大の六つの根本元素。この六大によって万物が成立したとする<六大縁起説>が強調された。
→まんまFF14世界の「六大元素」(EE1、9頁)。「雷」と「氷」がない。
◆六方礼拝
・東・西・南・北・天・地の六方を礼拝すること。
・六方はそれぞれ父母・師・夫婦・友人・沙門・雇人を示す。それらに対する人としての道を説いたもの。
→「12」と「6」が密接な関係にある数字ということを踏まえて、ここでまたエオルゼア十二神と比較して考えてみると面白いことがわかる。
※『EE1』16~17頁
→エオルゼア十二神それぞれの関係性を見ると、「父母」(例えば、メネフィナとアルジク【父】・ニメーヤ【母】)、「師」(サリャク【師匠】とビエルゴ【弟子】)、「夫婦」(サリャク【夫】とアーゼマ【妻】)、「沙門」(出家して修行する人)(ハルオーネ【旅先で力強い生物に戦いを挑む】)、「雇人」(ナルザル【商売を司る神】)といったように、具体的に当てはめて考えることもできる。
※その他、「6」に関する仏教用語は、「六波羅蜜」「六識」「六時増」「六塵」「六神通」「六道」「六喩」「六天」「六境」「六根」など枚挙に遑がない。
◆過去七仏
・略して「七仏」ともいう。ゴーダマ-ブッダすなわち釈迦牟尼仏と、彼以前に現れたとされる6人の仏たちを併せていう。六仏のうち最初の三仏は、計り知れない遠い昔に、残りの三仏は釈迦と同じ時代に現れたとされる。
→FF14世界の数字に関して、上記以外に重要な数字が「7」である。「7」という数字も「古来より多くの神話にて象徴的に取り扱われ」てきた数字だという(EE2、100頁)。以下、「7」に関する仏教用語も見ていこう。
◆七重宝寿
・阿弥陀仏の極楽浄土にある七宝からなる樹のこと。
・七宝とは、黄金・紫金・白銀・瑪瑙(メノウ)・珊瑚・白玉・真珠をいう。
→七宝の貴金属や宝玉類も、FF14のクラフターをやっているとよく目にするものである。金やら白銀などは、どのゲームにも出てきそうなものであるが、彫金師で使用する「紅珊瑚」などは、頻繁に出てくるような素材なのか否か。
◆七生
・人界の七生と欲天(六欲天)の七生を合わせて<七生>と呼ぶ。<生>とは生存のことである。したがって、分ければ14の生存となる。
・後には、7回生まれかわること、さらには何度も生まれかわることの意味にも用いられるようになった。
→ゲームスタート時、我々光の戦士は「第七霊災」を迎えた。今回の「漆黒」で明らかになった点を踏まえると、第七霊災をもって光の戦士は7回魂の融合を果たしたことになる。それは、「7回生まれ変わった」ともいえるのでないだろうか。
◆七難
・7種の災難。経典によってその内容が異なる。
・八苦と結合して、<七難八苦>で人間の受けるありとあらゆる苦難の意とする。
→まさに、第七霊災と、漆黒での光の戦士の「苦」を象徴した言葉のようである。
◆七福神
・恵比寿・大黒天・毘沙門天・弁財天・福禄寿・寿老人・布袋の七柱の福の神をいう。
・大黒天は元来インドのシヴァ神の別名で、のち仏教の守護神となった。
・福禄寿は中国で南極星の化身とされ、寿老人は長寿の神とされるが、この二神は同一神だとする説もある。
・聖数とされる<七>の数に合わせて、江戸時代中期にまとめられた。
≪関連する諺「禍を転じて福となす」≫
・大乗仏教の経典である『涅槃経』に出て来る話。吉祥天と黒闇天の「姉妹」が登場する。
・吉祥天は、もとはインド神話の幸福・吉祥の女神ラクシュミーである。それが仏教に入って、吉祥天となった。
・仏教では吉祥天の母は鬼子母神、その夫は毘沙門天とされ、夫の毘沙門天とともに吉祥天も「七」福神のうちに加えられることがある。
→リアル世界でも、既に江戸時代頃から、「7」が「聖数」とされていたことをここで初めて知る。
→シヴァやラクシュミの名前が見える。
→「同一神」という説がある福禄寿と寿老人が、エオルゼア十二神の「ナル・ザル神」と重なる。ナル神・ザル神もまた「二面性がある一柱の男神」と解釈されている(EE2、20頁)。
◆空
・われわれがものを見るとき、すでにわれわれが所有している観念によって、ものはいろいろに違って見える。あるいは、そのときのわれわれの気持ちによって、ものの見え方が違う。
例)赤ん坊にとっては一万円札は紙きれ、ダイアモンドとガラス玉が同じに見える
・仏教においては、ものは「空」であると言う。「空」というのは、「なんとも言えないもの」。われわれは「なんとも言えないもの」を、めいめいが自分勝手にああだ、こうだと見ている。
・憎い、憎いと思って相手を見れば、相手のなんでもない行動が腹立たしく思える。こちらのそのような気持ちを空っぽにすると、相手の行動があんがいに親切であることがわかったりする。
→仏教の根本思想の一つ。蛮族や帝国の問題しかり、「憎しみ」の連鎖もまた、FF14世界のテーマである。この「空」の考え方も、FF14の様々な場面を通して説かれていることではないか。
◆虚無主義
・仏教では、無我・空の思想が、主として婆羅門教から虚無主義と批判され、釈迦は虚無主義者として非難された。
・日本でも、近世及び近代の仏キ論争で、キリスト教から空を虚無と評され、仏教は虚無主義であると批判された。
→虚無で思い出すのが、「虚無に魅入られた皇帝」(EE1、27頁)ザンデである。
◆自力と他力
・仏教には、大きくわけると、自力の教えと他力の教えがある。
・自分の力で修業をやり、悟りを開こうとするのが自力の行き方。
・自力でもって修行するといっても、能力に恵まれぬ人もいる。あるいは環境のせいで、能力はあってもその能力を十分に発揮できない人もいる。そのような人は、つまるところ仏(絶対者)の力に頼るほかない。仏の力に頼って救われようとする教えが他力の教え。
→蛮神召喚もまた、仏教でいう所の「他力」と考えられる。光の加護も「他力」といえる。さらに言えば、「ハイデリン」「ゾディアーク」に縋っているのも「他力」の教えといえるのかもしれない。
◆無常
・あらゆる存在は変化する。生あるものは必ず死に、植物もいつかは枯れる。形あるものは必ず壊れる。宇宙的な時間軸で見れば、永遠不変な存在なんてない。そのことを、仏教では、無常という。
・あらゆる存在が無常であるにもかかわらず、われわれはそれをよく認識していないから「苦」が生じる。
→ハイデリンという星もまた「無常」のはず。滅び(無常)受け入れずに、アシエンが「他力」(ゾディアーク)の救いを求めた結果、今の世界のような「苦」が生じることになってしまったのか。しかし、「無常」を受け入れることは、ザンデのような「虚無主義」にも陥ることになってしまうとも考えられ、そのことがゲーム内では既に示唆されているのである。
→仏教の教えにない所謂「FF14教」ならではの答えが、最終的には示されることになるのだろう。それが楽しみでたまらない。
◆光暁
・和讃に「光暁かふらぬものはなし」という言葉があるが、暁の光は夜の暗を破るように、仏の智慧の光明は衆生の無明煩悩を除いて下されるということを喩えて光暁といった。
→「暁(あかつき)」の「光」の戦士。
おわりに
以上、仏教からFF14の世界観を捉え直して見た。
FF14に仏教用語が多く使用されていることが確認できただけでなく、仏教思想からFF14の世界観を説明することも不可能ではなかった。本稿で乱雑に見てきた事項が、「偶然の一致」で済ますことができるのか否かについては、読者諸氏に委ねることとしたい。
また、本稿の内容については、筆者が全くの門外漢のため、間違いや勘違いも多いかもしれない。しかし、ここは学術雑誌でもなければ、学会報告をしているわけでもない。FF14から知的好奇心を刺激された人間がいることを、この記事をもってお伝えできれば幸甚である。
≪おまけ≫
・サンスクリット語(梵語)と東方文字(延夏字)が似てるなぁと思いました。
※『仏教辞典』884~885頁。
※EE2、40頁。