ハイデリン巨悪説―次元圧壊や環境エーテルの話を軸に―


1.はじめに
 本当に今更であるが、『ファイナルファンタジーⅩⅣ:蒼天のイシュガルド 電撃の旅団が巡る イシュガルドの世界(以下、『イシュガルドの世界』を略称)』(電撃Playstation編集部、2016年)を購入した。
 世界設定班の織田さんのインタビューがあるので「いつかは読まなきゃ!」と思っていたのだが、結局今の今まで買ってなかったという……。買ったら買ったで早く購入しておけばと後悔する始末。織田さんのインタビューだけでなく、世界設定班へのQ&Aなど、FF14の世界観(特に蒼天のイシュガルド)を楽しむための格好の一冊となっております。おすすめです。「紅蓮のリベレーター」に関しても、この種の本が出るのであれば、今度こそは早期購入をと心に誓った次第である(そもそも情報に疎すぎるのが問題)。
 さて、『イシュガルドの世界』を読んで再確認したが、「一度自分なりにまとめておきたい!」と思う内容がある。それは、前にもチラッと日記に書いたりした「ハイデリン巨悪説」である。冒険を始めた当初から、どうにもこうにもハイデリンの胡散臭さが気になってしょうがない。……胡散臭すぎて逆にミスリードなんじゃないかってくらいに。
 ただ、そんな話をしようとすると、そもそも「アシエンの目的とは何なのか」「次元圧壊とは何なのか」みたいなことをきっちりと整理する必要がでてくる。以下、筆者が個人的に楽しむための妄想考察(ガバガバ考察)となるが、自身の考えを一度整理する意味でもだらだらと綴っておこうと思う。綺麗にまとまってないと思いますが、お許しください。
 また、考察に際しては、「エーテル」について最低限の知識が必要不可欠である。拙稿「エーテルとハイデリンに関する一試論」などを参考にしていただければ幸いである。

2.アシエンの目的
 アシエンの目的について、『イシュガルドの世界』では次のように簡潔にまとめられている。

「アシエンたちの目的は、世界に生きる者たちに〝蛮神〟の力を呼び降ろさせ、それを用いて争わせることにある」(『イシュガルドの世界』96頁)
「ヒトや獣人をそそのかして神々を顕現し、星(ハイデリン)の命とも言えるエーテルを消費・枯渇させ、〝次元圧壊〟という〝何か〟をへて世界を再創造することである模様」(『同上』97頁)


 筆者が特に重要だと思うのは下線部分である。アシエンの目的は、ただ単に「蛮神を呼び降ろさせる」ことにあるのではなく、それを用いて争わせ「エーテルを消費」させ「枯渇」させることにあるのだと指摘できよう。
 蛮神の召喚にクリスタルが必要なことは周知の如くだが、もう一つ重要な点があることを忘れてはならない。それは、蛮神がその姿を「維持」し続けるために、大量の「環境エーテル」を吸い続けるという点である(『Encyclopedia Eorzea(以下、『EE』と略称)』(スクウェア・エニックス、2016年、11頁)。
 「環境エーテル」とは、自然環境に満ちているエーテルのことである(『EE』233頁)。これが枯渇してしまうと土地から生命を育む力が失われてしまう。つまり、蛮神召喚が相次げば、その土地は生命が生まれぬ「死の大地」と化してしまうのである。また、環境エーテルは「エーテル界のエーテル」であるともいわれる(『イシュガルドの世界』123頁)。
 エオルゼアの人々が暮らしている世界を、エーテル学では「物質界」と呼ぶ。これに対して不可視のエーテルで充たされた「エーテル界」と呼ばれる領域が重なり合うように存在している。物質界で暮らす生命が命を散らすと、その魂を構成していたエーテルは、エーテル界へと還る。逆に、新たな生命が誕生すると、エーテル界から生命エネルギーが物質界へと流れ込む。これを「生命の循環」と呼ぶ(『EE』10頁)。織田氏は「物質界と重なっている部分にあるエーテル界のエーテルが尽きると、その土地では生物が生まれなくなるという設定があります(『イシュガルドの世界』123頁)」と述べており、ここから「環境エーテル=エーテル界のエーテル=不可視のエーテル」であることが導き出せる。
 以上の点をまとめると、アシエンの目的は「環境エーテルを消費させ枯渇させることにある」と結論づけられる。

3.次元圧壊と霊災
 では、「環境エーテルを消費させ枯渇させる」と何が起こるのか。先ほどの引用を素直に読めば、「次元圧壊(アシエンは「アーダー」と呼ぶ)」というものが起きる。この「次元圧壊」とは、読んで字のごとく「次元の壁を壊す行為」を意味する。
 いきなり次元の話がでてきて、話がやや大きくなりややこしい。パッチ3.2の「運命の歯車」で語られた点を改めて確認してみよう。

「すべての命が生まれるより前、「星の海」の底では光たる「ハイデリン」と闇たる「ゾディアーク」がひとところにあった。しかし、闇が力をつけ、光との均衡が崩壊。ハイデリンは滅びを避けるため、ゾディアークを「星の海」より放逐し、遠い天へと封じた。こうして「月」が生まれた。しかし、星をふたつに割く痛みは、次元の境界をも傷つけ、ここ「原初世界」のほかに十と三もの鏡像の世界が誕生した」(『EE』75頁)
「我々が暮らす「原初世界」に対して、十三の世界が平行して存在しており、計十四世界が並立していることになる。否、十四の世界のうち、既に七つの世界が消滅しているという。アシエンが、原初世界の側から次元を隔てている壁を破壊し、鏡像の世界を消滅させてきたというのだ。彼らの目的は、平行世界に満ちているエーテルを原初世界に再統合することで、分割されてしまった闇の力を取り戻し、月に眠るゾディアークを完全に目覚めさせることにある」(『EE』14頁)

 下線部「次元の壁を破壊する」に注目されたい。次元の壁を破壊したんだとサラッと書かれているが、そもそもどうやって破壊するのか、疑問である。
 ここで大きなヒントとなるのが、「異界ヴォイド」の存在である。我々が「ヴォイド」、あるいは「闇の世界」と呼ぶ異界も、十三ある鏡像世界のひとつである(『EE』296頁)。
 『EE』では原初世界と異界ヴォイドの関係性を次のように述べる。

「原初世界と異界ヴォイドは、異なる世界でありながらも「近しい」関係にある。それゆえ、強大なエーテル放射などが起こると、次元の境界に「裂け目」が生じることがある」(『EE』296頁)

 「強大なエーテル放射」、すなわち「大量のエーテル消費」によって次元の境界に「裂け目」が生じることがあるということが読み取れる。類似の事例として、妖異「ヴォイドモンク」の名前の由来についても見ておこう。

「〔ヴォイドモンクが〕「異界の僧侶」と呼ばれるのは、ラールガー星導教の高僧が悟りを開こうと修行していた際、気を練りすぎたのか、拳の一撃で空中に「裂け目」を開き、誤って召喚したという故事に由来する」(『EE』298頁)

 モンクの「気=エーテル」である。次元の裂け目に、エーテルが関わっていることは明白であろう。ここで注意が必要なのは、所詮ヴォイドモンクなんぞは、階級の低い妖異であるという点である。妖異たちの中でも、強大な力を有する高位の存在は、生半可な「裂け目」では次元の境界を渡ることができない(『EE』31頁)。つまり、強大な力を有する妖異には、それに見合う膨大なエーテル消費が必要なのである。
 強大な妖異を召喚しようとした例として、「クリスタルタワー」のエピソードが最も一般に膾炙していると考えられる。アラグ帝国皇帝ザンデは、魔王級の大妖異「暗闇の雲」を召喚するために、かつてない規模の「ヴォイドゲート」を開こうとする。ザンデは、バハムートを天に昇らせ、月の衛星とする計画に着手する。ついには衛星「バハムート」は起動し、莫大な力が天より降り注ぐ。しかし、クリスタルタワーを支える地盤がこれに耐えられず、地殻が崩壊し、かつてない規模の大地震が発生することになる。これが第四霊災であったことは周知の通りである(『EE』27頁)。
 ここで「次元圧壊」の話にもどろう。「次元の壁を壊す」とは、次元の境界に「裂け目」を生じさせるレベルの話ではない。大妖異を軽く召喚できるぐらいの「大穴」、莫大なエーテル消費なくして、次元の壁を壊すことなど不可能であろう。上記の場合も、衛星「バハムート」の起動・維持のために、周囲の環境エーテルは大量に消費されていたはずだ。
 環境エーテルが大量に消費されるとどうなるのか。一番わかりやすい例が、第五星暦の魔大戦である。エオルゼア各地で環境エーテルを消費する大魔法が乱用された結果、「属性バランスが崩壊」し、天変地異が始まるのである(『EE』34頁)。
 以上の点をまとめると、「霊災」とは、「環境エーテルが大量に消費された結果、属性バランスが崩壊し引き起こされた天変地異」、あるいは「次元圧壊の結果、引き起こされた天変地異」と結論づけられる。つまり、厳密には「次元圧壊」=「霊災」ではないのである。

4.霊災と環境エーテルの消費
 「霊災」が「環境エーテルの大量消費によって引き起こされた天変地異」であったという点を念頭におき、改めて第一星暦から第六星暦の歴史を振り返ってみよう。霊災に至った過程を洗い直すことで、この結論の妥当性を深めたい。

【第一星暦】この時代に石器や青銅器を手にした種族が、欲望の赴くままに自然を圧倒した。多くの生物が絶滅したと考えられている(『EE』22頁)→自然破壊=環境エーテルの大量消費とも考えられる。
【第二星暦】魔法を操るまじない師や神官が指導者になり、宗教国家をつくる。異なる宗教同士の対立が戦乱の火種となり、人命を損なう無益な争いが続き、耕作地なども焼き払われる(『EE』23頁)→強い魔法は環境エーテルを消費する。
【第三星暦】前述の通り→ヴォイドゲートを開く際やバハムートの起動の維持に環境エーテルが消費されている。
【第四星暦】資料が残っておらず謎。
【第五星暦】前述の通り→魔大戦による環境エーテルの消費。
【第六星暦(第七霊災直前)】ルイゾワの十二神召喚(封印魔法)→「名杖トゥプシマティにより束ねた莫大な環境エーテルと、救いを求めるエオルゼアの民の祈りを糧として、十二神の力を顕現させる」(『EE』45頁)。

 謎の多い第四星暦を除き、どの時代でも霊災が起こる前に環境エーテルが消費されていることがわかる。各星暦(繫栄の時代)に、環境エーテルが大量消費され次元圧壊が起き、それが第二~第七霊災の引き金になったと考えられるのである。
 さらに、賢人ルイゾワが神降ろしに使用した名杖「トゥプシマティ」について詳しく見てみると、この点はさらに顕著となる。この杖の先端にはシャーレアンの秘法「角笛」が据えられている。これこそ、周囲から莫大な環境エーテルを引き出し、エオルゼア十二神を呼び降ろす原動力となった「要」である。この角笛は、誰が何時何の目的で作ったのかさえわからないという(『EE』78頁)。角笛は複数発見されており、アシエンに回収されているものもある。環境エーテルの消費を目的とするアシエンにとって、この神器の重要性は言を俟たない。
 角笛のように、誰が何時作ったのかわからないものとして「エーテライト」がある。現在稼働しているエーテライトは、遠い古の時代に創られたものをシャーレアンの民が再現したものである(『EE』10頁)。そう考えると、角笛も遥か昔の第一星暦以前から存在しており、莫大な環境エーテル消費のために使用され(次元圧壊)、第一霊災を含んだ霊災が引き起こされていたことも十分に考えられる。

5.環境エーテルの動き(鏡像世界→原初世界)
 ここでふと疑問がわく。エオルゼアの歴史上、環境エーテルは定期的に大量消費されていたわけであるが、なぜ枯渇しないのかということである。
 エオルゼアは古の時代より、霊災を繰り返している。しかし、エオルゼア地域は常に「環境エーテルの濃度が高い」と紹介される(『EE』12頁)。『EE』では、第五霊災が起こった後の記述にも「環境エーテルが豊かなエオルゼア」と書かれている(『EE』29頁)。環境エーテルの消費が霊災に繋がっているのだとしたら、霊災後の環境エーテルは霊災前より少なくなっていると考えるのが普通であろう。しかし、第五霊災が起こった後もエオルゼアには豊かな環境エーテルが満ちていたのである。第七霊災後も同様に、「恐るべき破壊が行われたはずであるにも関わらず、直後に不可解な再生現象が巻き起こり、自然は驚異的な回復を見せていった」と述べられている(『EE』46頁)。
 ここで一つの仮説が立てられる。それは、「エオルゼアで消費された環境エーテルは、完全に枯渇する前にどこかからか補充されているのではないか」という点である。
 ここで思い出していただきたいのが、前述した「生命の循環」の話と、我々のいる「原初世界」の他に十三の鏡像世界があるという話である。自分がハイデリンになった気持ちで考えてみよう。ハイデリンも我々と同じ生命体であり、意思もある(『EE』11頁)。
 まず、エーテルは異なる世界を行き来するものであるというイメージを強く意識する(『イシュガルドの世界』123頁)。エーテルは血液だ。自分の血液が体中を巡っているように、エーテルも循環している。
 そして、我々のいる原初世界で大量に環境エーテルが消費されたとする。体の一部分が傷つき、血があふれ出している状態である。エーテルが完全に枯渇し、生命の生まれない「死の大地」と化す前になんとなしなれければならない。自分の右腕が大怪我を負った場合、早急な処置を施さなければ、その右腕は使い物にならなくなるだろう。
 エーテルが大量消費されたその場所には傷口ができているのである。その傷口は「裂け目」なんてかわいいものではない。「大穴」だ。その大穴の先には何があるのか。異なる世界でありながら原初世界と「近しい」関係にある鏡像世界だ。幸いにも鏡像世界は我々が生きる世界と同様に命に満ちた世界である(『EE』296頁)。つまり、エーテルが豊富に埋蔵されているのである。ぽっかりと空いた傷穴から、まるで血液が流れるように、鏡像世界のエーテルが原初世界へと注がれる。原初世界にエーテルが戻ることで、原初世界の属性バランスはもとにもどる。結果、天変地異も収まることとなる。自分の身体で例えるならば、大量出血してしまったが、輸血することで助かったと考えるとわかりやすいかもしれない。ただし、その血は誰のものでもいいわけではない。自分に近しい人(血液型が同じなど)であることが必須条件である。
 それはハイデリンの場合も同じなのである。鏡像世界は原初世界と同じく、属性バランスのよい環境エーテルを保っておく必要がある。雷、火、土、氷、水、風の六属性はすべて光と闇の支配に置かれているため、属性バランスが崩れた行き着く先は「光の氾濫」か「闇の氾濫」に収束すると考えられる(『イシュガルドの世界』86頁)。
 「闇の氾濫」が起きた異界のヴォイドや第十三世界、「光の氾濫」が起きた第一世界は、原初世界と統合する価値が失われている(失われつつある)と考えられる(『EE』213頁)。氾濫が起きた鏡像世界には、原初世界の傷を治すための正常なエーテルがないからである。輸血に際しても、健康な人の血であることは当然求められよう。
 エーテルの流入は、世界の統合とも捉えられる。エーテルは万物の源、エーテルこそが世界そのものだともいってよいからである。アシエンの言う「次元圧壊による世界統合」とは、以上のようなプロセスをいうのではないだろうか。

6.次元圧壊は悪か
 ここまで考えると、さらに疑問がわいてくる。疑問ばっかりで答えはでてないが、考えるのが楽しいのでよしとする。

疑問:分割した世界を統合する「次元圧壊」って悪いことなのだろうか。

 そもそもである。本来、惑星ハイデリンには衛星なんかなかったわけである。鏡像世界なんてものもなかった。光の意思「ハイデリン」が闇の力を分割する決断を(勝手に)して、闇の意思「ゾディアーク」を月という形で天に封じた。その結果、星をふたつに引き裂く痛みで次元の境界が傷つき、十三の鏡像の世界ができてしまったわけだ。
 ゾディアーク及びその使徒たるアシエンとしては、惑星ハイデリンを本来の元の姿に戻そうとしているだけとも考えられるのである。星が痛みを感じたことで鏡像世界ができてしまったのだから、それを元に戻すために同じように星を痛めつけようと考えるのも筋は通っている。そして、星に痛みを与えるには、大出血を伴うような攻撃、すなわち星の血液である環境エーテルを消費するのが一番である。その環境エーテルの消費のために、蛮神召喚を含むあらゆる手法をアシエン達はとっているのだと考えられる。勿論、手段は選ばない。言葉巧みに種族や国家の対立を煽り、環境エーテルの大量消費を促そうとする。
 前述の3.2パッチ「運命の歯車」で、ハイデリンは「星の代弁者」ミンフィリアを通して、「次元圧壊は人が「霊災」と呼ぶ災厄なのだ」と語る(『EE』75頁)。本稿では、次元圧壊=霊災ではないと結論づけた。ハイデリンは本当に真実を告げているのかと、疑わざるを得ない。そもそも、あなたが鏡像世界を作り出したわけで、鏡像世界がなければ次元圧壊は起こりようもなかったし、霊災も起こらなかったんじゃないのかと。
 さらにハイデリンは、「既に七度の霊災を通じて七つの世界が統合された今、ますます闇の力は強まっている」と説く(『EE』75頁)。何をもって闇の力が強まっているのかの説明はない。世界の安寧には、光と闇の均衡が大事だという。だとすれば、「闇=悪」という単純な理解は間違いだ。闇も光も必要だという前提に立つ必要がある。そのことを、なぜハイデリンは我々光の戦士に語らないのか。
 そもそもである(何度目かわからない)。この画像を見て欲しい。

 我々のミンフィリアをこんな感じで縛り付けている存在を誰が信じられようか。いや信じられない(反語)。

7.環境エーテルを消費する手段
 ここで、アシエンの目的にまた戻りたい。アシエンの目的は、星を本来の姿に戻すため、次元圧壊を起こすことである。次元圧壊を起こすには、環境エーテルを大量に消費する必要がある。つまり、「アシエンの目的=蛮神召喚」というのは厳密には正しくない。現状、環境エーテルの大量消費には、蛮神召喚が一番手っ取り早く効率が良いということなのだろう。例えば、前述の第五星暦の魔大戦のように、大魔法の使用に環境エーテルが大量消費されれば、それはそれとして目的達成なのである。
 また、アシエンとしては、環境エーテルを大量に消費してくれれば、その人物が誰であろうと問題ではない。敵・味方という概念もないのかもしれない。「光」の勢力に助言や助力も厭わないアシエン・エリディブスが象徴的であろう。誤解を恐れず言えば、賢人ルイゾワの十二神召喚は環境エーテルを膨大に消費したものであったので、アシエンの野望に知らず知らずのうちに加担していたとも考えられるのである。
 もっと言えば、「光の戦士」という存在は、人びとの英雄であるだけでなく、アシエンにとっての英雄にもなり得るということである。考えてもみて欲しい。光の戦士達は、第六霊災を引き起こした黒魔法も白魔法も使える。通常の魔法であれば、自身のエーテルを利用するだけで事足りるが、強力な魔法を行使する時には環境エーテルをも利用する必要がある(『EE』233頁)。光の戦士達が強くなればなるほど、覚える魔法が強くなればなるほど、相対的に環境エーテルの使用量もふえているのではないだろうか。
 また、環境エーテルを使用する職業は、白魔導士と黒魔導士だけだろうか。例えば、忍者の「印」。これは簡易魔法陣と解釈でき、印を結ぶことによって「天地人、すなわち大気中、地中、術者体内を巡るエーテルを操り、練り合わせることで、一種の魔法的現象を引き起こす」(『EE』229頁)。ここからも、環境エーテルの使用が確認できるだろう。忍者だけに留まらず、あらゆる職業でエーテルは必須である。通常攻撃レベルであれば自身のエーテルだけで事足りていたとしても、今やレベル70(『紅蓮』時)ともなる光の戦士達のスキルは、環境エーテルを使わずしてすむものなのだろうか。
 ゴリゴリに強くなった光の戦士達は、いとも容易く蛮神を倒す。蛮神を倒す際に使用される環境エーテルと、蛮神を倒すことで使用されなかった蛮神維持のための環境エーテル。現状は後者の方がまだまだ大きいのかもしれない。しかし、今回の『紅蓮』で「超える力」があれば神(蛮神)を従えられる可能性が示唆された。蛮神を使役する、なんてことになったら、それこそ莫大な環境エーテルが消費される。帝国がやろうとしていることは、まさにアシエンにとって願ったり叶ったりなのである。
 翻ってみれば、環境エーテルの大量消費を行う対象は、ハイデリンの脅威といえる。光の戦士達がハイデリンの脅威となる日も遠くないのかもしれない。

史学者 kaede takagaki