1.はじめに
「他者認識」とはまさに、自己像の反映である。歴史学・社会学・国文学・心理学を問わず、他者認識研究ないしは他者理解研究は今日盛んな領野である。それは、現在を生きる我々にとって喫緊の問題であり、社会を生きる上で、あるいは国際社会を考える上で、誰が誰にどのような眼差しを向けているのか、という点は人の興味を刺激して離さないからであろう。一例をあげるのであれば、我々日本人の東アジア諸国の人々への眼差しが象徴的である。彼等に対する日本人の眼差しの是非、善悪をここで問いたいわけではない。人と人、国と国との関係を考える場合、他者への眼差しというのが、殊に重要な要素であることは、歴史学の分野で対外観・対外認識研究が「外交」のカテゴリーで語られることからも明白である。
さて、ここでエオルゼアの世界に目を移したい。エオルゼアの世界は、リアルの世界ではなくとも、そこには「人(ヒト)=人間種族」が生きており、また「人(ヒト)」以外の獣人(蛮族)も生きている。「異民族」が存在する以上、その異民族に対する眼差しは自然発生的に表出する。そしてそれは、ゲーム内において往々にして確認することができる。
本稿では、「エオルゼア民衆(人間種族)の蛮族観」というテーマのもと、実際のゲーム画面を引用してその実証的把握を行いたい。エオルゼア民衆と銘打ってはいるものの、民衆としての対象を掘り下げたいわけでも、エオルゼア民衆固有の蛮族観を浮き彫りにしたわけでもない。ここで取り上げたいのは、複雑立体的な認識論ではなく、現在の世論にも通じるような漠然とした評価傾向である。FF14のプレイヤーであれば周知の事実であるが、蛮族と言っても、良い蛮族もいれば悪い蛮族もいる。それは人であっても同様である(そもそも登場人物すべてが善であったら物語・ゲームとして機能しない)。ここでは、エオルゼア社会で漠然と共有されていると考えられる蛮族観(好き・嫌いなどの感情レベル)を見ていきたい。
2.検討方法
主に、宿屋で何度も閲覧できるメインクエストと蛮族クエストを参考資料として扱う。勿論、蛮族観の検討といった場合、メインクエスト以外のサブクエストやクエスト以外で語られるNPCの発言など、検討方法は多岐にわたる。本稿では、時間の関係上メインクエストと蛮族クエストに限定した。また、メインクエストは、FF14プレイヤーが必ず受注するものであり、プレイヤーは必ずその物語にふれている。ゲーム内で蛮族がどのように語られ、評価されているかを、ここで多くのプレイヤー達は共有しているはずである。まず第一にこのメインクエストは検討されてしかるべきであろう。蛮族クエストは、メインクエストと異なり、クリアしていないプレイヤーも相対的に多くなる。しかし、蛮族クエストと銘打たれているように、蛮族に関する認識・理解を深める上で重要なクエストであり、このクエストの検討は避けては通れない。この二種のクエストを見ていくことで、一定の蛮族観なるものを浮き彫りにすることが可能となると考える。
なお、メインクエストについては「蒼天のイシュガルド編」は除外する。イシュガルド前のメインクエストと蛮族クエストを未見の方は、以下ネタバレ注意である。
※〔 〕は筆者註であり、出典註は煩雑化を防ぐため省いた(新書形式)。参考文献(サイト)については文末に掲載している。
3.蛮族という呼称について―獣人?蛮族?―
まず、蛮族の定義から見ていく必要がある。蛮族と言った場合、多岐にわたる説明が可能であろう。①蛮族=獣人、②人(ヒト)以外の人間型の民族、③蛮神を召喚したもの、などが代表的な定義であると考えられる。蛮族と呼称されている民族としては「サハギン族」「コボルド族」「アマルジャ族」「イクサル族」「シルフ族」「モーグリ族(広義では蛮族ではない可能性)」「ゴブリン族」などがいる(イシュガルド以降は「バヌバヌ族」や「グナース族」など)。
蛮族の呼称について、重要な史料があるので以下に引用する。以下の史料はウルダハで発行されている経済情報誌『ミスリルアイ』vol.2に掲載されていた記事である(バックナンバーは旧ロードストーンに掲載されていたとのこと)。
「近年、獣人の一部を「蛮族」と呼ぶ風潮が広がりを見せている。
帝国が蛮神を呼び降ろした民を「蛮族」と認定し、徹底的な弾圧を加えていることが広く知れ渡ったためだ。彼ら獣人を都市内に受け入れるべきか否かについては、我がウルダハにおいても重要な政治的問題として取りざたされ、十余年前に砂蠍衆が獣人排斥の方針を打ち出すこととなった。かくして都市内から獣人は締め出され、国際市場からシルフ族のクリスタル商やゴブリン族の古物商の姿が消えたのである。(『ミスリルアイ』vol.2「獣人を巡る動向」)」
この記事によると、獣人の一部を「蛮族」と呼ぶ風潮となったのは、第六星暦(1560年代後半から1570年代前半と推定)頃からであり、帝国の影響が大きかったことがわかる。人間種族と激しい(蛮神を呼びおろす程の)敵対関係にある獣人種族が蛮族と呼ばれていると結論づけられる。
4.蛮族呼称は蔑称か
「FF14用語辞典(http://ff14.ffo.jp/html/97.html)」では「蔑称としてのニュアンスが強い」と書かれているが、筆者の見解も同様である。『国語辞典』によると蛮族とは「未開の種族」「野蛮な民族」であり、「未開」「野蛮」などを否定的評価として捉えるならば、蛮族という言葉自体に既に否定的ニュアンスが込められているといえる。
また、「蛮族」という呼称が蔑称としてのニュアンスが強い根拠として、イクサル族クエストに登場するタタラムの存在を例にあげたい。タタラムは、イクサル族と人とを繋ぐ重要な立ち位置のキャラクターであるが、彼の発言からは「蛮族」と「獣人」の明確な使い分けがうかがえるのである(資料1・資料2)。
【資料1】「獣人に学ぶなんて、人としてのプライドが許さないから?」
【資料2】「イクサル族は、翼を失った種族だと聞いていた」
【資料3】「だまれ、蛮族め!」
【資料4】「…なんと下等で下劣な連中だ」「鳥ほどの脳しかない蛮族が、本当に飛空艇を造れるとでも?」
タタラムがイクサル族を「獣人」と呼ぶ一方で、タタラム父やその支配下の者達は「蛮族」と呼称しており、ここに明確な対比が読み取れる(資料3・資料4)。個人的な記憶ではあるが、当クエスト初見時、台詞の中に獣人と蛮族が混在し、理解に困ったことを覚えている。多少の混乱は織り込み済みで、それでも獣人と蛮族を区別したい送り手側(運営:スクウェア・エニックス)の強い意図を感じることができる。
また、獣人エクストラクエストに登場するシルビアの発言も同様である(資料5・資料6)。
【資料5】「エオルゼア全土で行われた、一連の獣人誘拐事件……」
【資料6】「罪も力もない獣人を拐って、その命を弄ぶ……。いくら相手が蛮族といえど……。」
このシルビアはシルフ族の者であるが、人間社会とも関わりの深いキャラクターであるため、人間社会に即した価値基準も有した特異な立ち位置にある。「力も罪もない獣人を拐って、その命を弄ぶ…。いくら相手が蛮族といえど…」という発言の、前半の「獣人」という言葉にはシルフ族としてのシルビアの意識が、後半の「蛮族」という言葉には人間視点からの意識が如実に反映していると考えられる。一台詞の中で、わざわざ蛮族と獣人を区別していることから、そこには明確な認識の差異があるのだと考えられる。
暁の血盟メンバーであるパパリモやヤ・シュトラなどは一貫して蛮族という呼称を使っているが、これは彼らが蛮神問題との関係性が深いため、蔑称という側面よりかは単純に「蛮神を呼びおろした種族」のことを蛮族と呼んでいるにすぎないと思われる(資料7・資料8)。
【資料7】「蛮族といっても、好戦的なイクサル族とは違って」
【資料8】「コボルド族は閉鎖的な蛮族……。」
以下に示すような否定的評価や激しい蔑視表現と共に、蛮族が語られていないことからもこの点は立証可能であろう(パパリモの発言の「蛮族といっても〔中略〕おだやかで対話が成立する相手さ」などからも否定的ニュアンスとともに蛮族という言葉が使用されていないことがわかる)。
5.蔑視される蛮族
蛮族クエストなどをクリアすると、蛮族も一枚岩ではなく、人間に友好的な派閥もあることがプレイヤーの共通理解となる。しかし、そのような認識に至るのは、光の戦士(超える力を有する)たる(超える力を有する)プレイヤーキャラクターだからであり、エオルゼアに生きるその他大勢の人々はそのような認識に至ることはない(ごく少数)。それを示すものとして、前述「獣人誘拐事件」の首謀者ナザ・ア・ジャーブの発言を見てみよう(資料9)。
【資料9】
「俺は蛮族を軽蔑していない」という発言からは「俺以外は蛮族を軽蔑している」という含意を読み取ることができる。蛮族は、一般的に軽蔑され蔑視される存在であることが読み取れる。
では、メインクエストや蛮神クエストで、蛮族は具体的にどのように語られているのか、抽出したものを以下に列挙にする(資料4・資料10・資料11・資料12)。
【資料10】「それにしても、憎むべきはサハギン族……。軍艦ならともかく、無抵抗の民間船を沈めるなんて、まさしく鬼畜の所業……血も涙もない蛮族どもだ!」
【資料11】「どこまで卑劣で外道な……サカナ野郎めッ!」
【資料12】「貴様らの卑劣な暴力などには、決して屈しない!」
「憎むべき」「鬼畜の所業」「血も涙もない」「外道」「卑劣」「下等」「下劣」「鳥ほどの脳しかない」など、激しい蔑視表現や否定的評価が蛮族に与えられている。また、各蛮族ごとに固有の蔑称も確認することができる(資料13・資料14・資料15・資料16)。※画像が小さいのでクリックして拡大
【資料13】シルフ族「腐れ野菜」
【資料14】アマルジャ族「トカゲ野郎」
【資料15】イクサル族「鳥野郎」
【資料16】サハギン族「サカナ野郎」
「野郎」は「男性をののしりさげすんでいう語」であることから、「○○野郎」という表現からは激しい蔑視感情が読み取れる。
以上のように、メインクエスト・蛮族クエストだけでも、これだけの否定的評価・蔑視表現が確認できる。蛮族クエストの「蛮族に光を当てる」「蛮族との友好」という性格を鑑みた場合、蛮族クエストで対比的に描かれる偽悪的な蛮族の存在はまさに在エオルゼア人間種族の一般的な蛮続観であるとも指摘できよう。
ここで注意が必要なのは、光の戦士(プレイヤー)やごく少数の理解者以外のその他大勢のエオルゼア民衆の蛮族観が、ステレオタイプな蔑視であることを現在的価値観で批判するのはナンセンスであるということである。敵対関係にある者に対し、蔑称を用い蔑視するのは、当然の現象であると考えるべきである。人間種族にとっては、むしろ敵愾心の発露として肯定的に評価される可能性すらある。そもそも、同じ人間種族で争っているのに、況や異種族(蛮族)をやである。
我々プレイヤーに求められている点とは、エオルゼアの民衆を非難することなどではなく、彼等の蛮族観を客観的に見ている我々が何を教訓とするか、であろう。ゲームとはあくまで娯楽の一環でしかないのかもしれないが、そこに教養的・教育的要素も少なからず存在する。古今東西あらゆる娯楽メディアから教育的要素を見出そうとした研究事例に象徴されるように、FF14という作品から何かを学ぶこともあるだろう。10代の若者がFF14をプレイすることもあるだろう。彼らがエオルゼアで蛮族問題と向かい合う時、現実世界の国際紛争と重ね合わせることはあるのだろうか。はたまたフィクションとして切り捨てているのか。この「FF14の影響力」については別稿で深く検討したい点である。
6.蛮族の人間観
話はずれたが、敵対相手に対する蔑視は、人間種族固有の特徴ではない。当然蛮族側も自身の正義を掲げ、「人(ヒト)」に敵対している。最近の物語でよくある脱勧善懲悪型の典型的な筋書きといえるが、案外現実では「自分だけが正義、他は悪」として、その事実を忘却してしまっている人間が多いのは気のせいだろうか。
また話がずれ始めてしまうので元に戻すと、蛮族も蛮族で人間種族を「羽根ナシ」「ヒレナシ」などと蔑み呼称する(資料17・資料18)。
※蛮族は人間種族のことを「ヒト」と呼ぶ(ゲーム上「ヒト」とカタカナで表記されることが多い)。生物学などでは、動物の一種として人間を扱うときに「ヒト」と記述する。「人」と書いた場合、暗に他の生物との区別(特別視)が図られており、「ヒト」というのは極力その特別視を排除したものである。蛮族の発言に表れる「ヒト」には以上のような学術的区別を念頭に置いて、意図的に使用されている可能性がある。
【資料17】「羽根ナシ」
【資料18】「ヒレナシ」
そして、蛮族も蛮族で「ヒト」を一括りにし拒絶する(資料19・資料20)。蛮族の場合は、その否定的感情の背景に人の裏切りがあることが明確に示される。人は侵略者であり、各蛮族はそれに対抗しているにすぎない(「エオルゼアvs侵略者帝国」という対立構図と意図的に重ねていると考えられる)。本稿の検討の範囲外がであるが、「蒼天のイシュガルド」のドラゴン族の怨念・復讐心もまさに人の裏切りであった。
【資料19】「やっぱり「ヒト」は信用できないでふっち!ボクら、シルフとは違うのでふっち!危険なやつらでふっち!」
【資料20】「シルフ族にとって、ヒトはヒト。たとえ、グリダニアの民が自然との調和を重んじようと、一方で、帝国の民は森を侵し続ける……。」
一方で、光の戦士(冒険者)と同様に、「ヒト」は「ヒト」でも良い人と悪い人がいるという認識に至っている蛮族や、「ヒト」との友好の道を模索する蛮族もしっかりと描かれている(資料21・資料22)。
【資料21】「同じヒトでもグリダニアの民とは違うでふっち……。」
【資料22】「我らに今、必要なのは「闘争」ではなく「対話」なのだ」
そして、蛮族エクストラクエストの最後では、人間種族を含めた「六族連盟」というゲームとしては百点満点の結論に至る(あまりに理想論かつ机上の空論であるという批判は適当ではないだろう)。(資料23)
【資料23】「「六族連盟」、只今、参上!!」
エオルゼアの世界ではあまりに小さな連盟であるかもしれないが、光の戦士の地道な草の根活動が結実したものであり、ちょっと感動したのは私だけではないであろう。ゲームの中でくらい理想論を語ったっていいじゃないか、その儚くも清廉な思いが、このクエストからにじみ出ているような気もした。
7.おわりに
以上、エオルゼア民衆(人間種族)の蛮族観(一般的な蛮族観)について見てきた。本稿では、プレイヤー間で当り前の事実として共有されているであろう蛮族への否定的感情について、実際のゲーム画面を引用しつつその内実の実証的把握を行った。本稿のような検討方法でも、具体的評価や固有の蔑称などは明らかにすることが可能であり、検討に一定程度の意義はあったといえよう。
この一般的な蛮族観をゲームを通して客観的にプレイヤーは認知しているわけであるが、そこで生じてくるのが光の戦士(プレイヤーキャラ)の特異性である。光の戦士(=わたし)は、一般(普通)とは違うという選民意識にも近い何かであるとも指摘できる。翻って、FF14プレイヤーを見ると、選民意識をもったプレイヤーが意外にも多いのではないか、というのが一個人の感想である。ゲームが上手ではないプレイヤーを「チンパン」と呼び、そのプレイの様子を画像や動画にアップロードし笑いものにする。本稿を見てきた方々ならもうお気づきかと思うが、エオルゼア一般の蛮族への対応と質的に何ら変わらないのである。ゲームの中では自分の分身(光の戦士)が「蛮族と共に友好を!」と頑張っているのに、その中の人が全く友好的でないというこのダブルスタンダードは日本人ならではの特性なのだろうか。はたまた、これも「ヒト」たる所以なのか。ラムウが「人がいる限り、この世から、穢れと争いが無くならぬ道理よな」という台詞を読んで、彼等は何も感じないのか……。
……筆が走りすぎた。勿論、このようなプレイヤーはFF14の中でごく少数である(と信じたい)。また、所詮はゲームであり、現実とは別物であるという割り切った考え方のプレイヤーも当然存在する。私もゲームをしているとイラっとしてしまうことは多々ある。人間関係が少なからず生じるMMOでそれは自然の摂理であるとさえいえる。そんな時、FF14のストーリーをプレイしていると、ハッとさせられるのである。このメッセージはもしかして私に対し投げかけられているのではないか、と。
≪参考サイト≫
■「FF14用語辞典」http://ff14.ffo.jp/
■「FF14onlinewiki」http://ff14wiki.info/