エオルゼア十二神の相関関係から見る光と闇


1.はじめに
 本稿は、エオルゼアの神話、主にエオルゼア十二神を中心に考察を深め、FF14の深淵なる世界観に勝手に溺れてみようという趣旨の似非論文である。勢いで書いたので妄想分多め。
 賢明な読者諸氏の中には、神話なんて掘り下げて何になるのだ、所詮神話は神話、フィクションじゃないか!と反論なさる方もいるだろう。そのご指摘はごもっともである。
 一方で私が注目したいのは、エオルゼアにおける「預言詩研究」と「星詠み」の存在である。前者に関しては、ウリエンジェがその代表格であろう。ウリエンジェの師は預言詩研究の大家、賢人ルイゾワである。預言詩研究なるものが、エオルゼアでは一定の学問的価値を有しているという事実は見逃せない。神話と預言の親和性の高さも気になる所である。後者に関しては、シャーレアンの賢人リューフォンの名をあげないわけにはいかない。彼は第六星暦に、古来より未来を予知するために試みられてきた「星詠み」の知識を編纂する一大事業に挑んだ人物である。その作業過程において、古の知識の中には、魔法学的に正しい情報が含まれていることが判明した(『EE』242頁)。神話の中にも正しい史実が隠されている可能性が示唆されている。
 以上の点を踏まえ、本稿は「エオルゼアの神話がエオルゼアの歴史そのものであり、エオルゼアの行く末を預言しているものであったら?」という問いから出発するものである。
※以下、参考文献の『Encyclopedia Eorzea』(スクウェア・エニックス、2016年)は『EE』と、『ファイナルファンタジーⅩⅣ:蒼天のイシュガルド 電撃の旅団が巡る イシュガルドの世界』(電撃Playstation編集部、2016年)は『イシュガルドの世界』と略す。

2.エオルゼア十二神
 神々に愛されし地、エオルゼア。我々が降り立ったエオルゼアには古来から信仰されてきた十二柱の神々がいた。ここでは、エオルゼア十二神の一般的な神話を改めて確認しておきたい。
※拙稿「エオルゼアの神に関する一試論」で、エオルゼア十二神について既にふれているが、ここではその確認とともに、さらに掘り下げた検討を行っていきたい。未読でも問題ないようにしているつもりです。

■戦神ハルオーネ
氷河と戦争を司る女神。氷属の神力を有し、星一月の運行を務める。
■月神メネフィナ
双月と慈愛を司る女神。氷属の神力を有し、霊一月の運行を務める。
■知神サリャク
河川と知識を司る男神。水属の神力を有し、星二月の運行を務める。
■星神ニメーヤ
惑星と運命を司る女神。水属の神力を有し、霊二月の運行を務める。
■海神リムレーン
海洋と航海を司る女神。風属の神力を有し、星三月の運行を務める。
■旅神オシュオン
山岳と放浪を司る男神。風属の神力を有し、霊三月の運行を務める。
■工神ビエルゴ
建築と工芸を司る男神。雷属の神力を有し、星四月の運行を務める。
■壊神ラールガー
彗星と破壊を司る男神。雷属の神力を有し、霊四月の運行を務める。
■日神アーゼマ
太陽と審理を司る女神。火属の神力を有し、星五月の運行を務める。
■商神ナルザル
地底と商売を司る男神。火属の神力を有し、霊五月の運行を務める。
■地神ノフィカ
大地と豊穣を司る女神。土属の神力を有し、星六月の運行を務める。
■時神アルジク
重力と時間を司る男神。土属の神力を有し、霊六月の運行を務める。

 注目すべきは、十二神が物質の理の基礎となる六属性の神力をそれぞれ有しているという点である(『EE』17頁)。ここで、疑問となるのが、なぜキリ良く六属性=六神ではなく、その2倍の十二神なのかということである。
 この点を理解するためには、「極性」について知る必要がある。六大元素(火、風、雷、水、氷、土)には極性という力が作用することはご存知だろうか。極性には「星極性」と「霊極性」があり、前者の星極性に寄れば激しく活発な動的作用を生み出し、後者の霊極性に寄れば静まり静的な作用を生む(『EE』9頁)。と、この説明だけではイマイチピンとこないだろう。
 より理解を深めるべく、創世の神話を記した書物『六属創世記』を見てみよう。六大元素が成立した過程を、相関関係を示しながら表したものだ。その文書は「グラブ幻想図書館」で閲覧することもできる。注目していただきたい記述は以下である。

「揺るぎなき二つの支配」
雷も火も土も氷も水も風も
すべては霊の上にあり
すべては星の下にある
近いか遠いかただそれだけ


 この記述から、雷、火、土、氷、水、風の六属性は、「星」と「霊」の二極性に支配されていることがわかる。この二つの極性が、この星のあらゆる自然現象を司っているという意味合いである。つまり、「星」や「霊」は六属の上位存在ということになる。
 では、星と霊というのは具体的に何なのか。拙稿「エオルゼアの神に関する一試論」で考察したように、星=光、霊=闇である(『イシュガルドの世界』86頁でもその旨指摘されている)。
 さらに、『EE』に掲載されている『六属創世記』の表紙(挿絵かもしれない)をみていただきたい。以上の関係性を視覚的に理解できるだろう。

※出典:『EE』9頁

 エオルゼア文字が使用されていて読みにくいかもしれないが、基本的に我々が見知っているアルファベットと同じだ。円形に配置されている各種属性「fire」「wind」などは読めるだろう。
 問題は、その円の上下にある文字である。これらの文字は呪術(黒魔道士)をやっているとピンとくる。上が「Astral(星の)」、下が「Umbral(陰の)」である(ちなみに「umbral」の下は「The Elements」であろう)。すぐさま、「アストラルファイア」と「アンブラルブリザード」を想起した人も多いのではないか。
 つまり、星=Astral=光、霊=Umbral=闇ということが解るのである。この絵を見ても、六属の上に光があり、下に闇がある。まさに「すべては霊の上にあり、すべては星の下にある」という言葉の通りである。
 話を極性にもどそう。以上の点を踏まえると、星極性とは「光よりの属性」、霊極性とは「闇よりの属性」であると指摘できる。すなわち、火属性といっても、星極性の火属性、霊極性の火属性の二種類存在することになる。
 さらに、話を十二神に戻そう。ここまでみてくれば、「なぜ六神ではなく十二神か」の答えは最早明白であろう。各属性には星極性と霊極性があるため、六属の神力を有している神もまた、各属性ごとに星極性(光)と霊極性(闇)の神力を有した神がいると考えられるわけである。この点は、十二神が12の月と12の年の運行を司っていることからも裏付けられる(『EE』17頁)。例えば、雷属のビエルゴは星四月を運行を務め(ビエルゴは星極性)、もう一方の雷属のラールガーが霊四月を務めている(ラールガーは霊極性)。

3.エオルゼア十二神の相関関係
 エオルゼア十二神には、六属の神力が宿っているだけでなく、星極性(光)・霊極性(闇)の区分があることがわかった。
 以上の点を踏まえて、相関関係を考えてみたい。エオルゼア十二神にはそれぞれに神話がある。例えば、旅神オシュオンの場合には「商神ナルザルの義兄弟であり、戦神ハルオーネの親友と解釈される。」(『EE』16頁)のように紹介されている。それぞれの神との相関関係が定まっているのである。以下、その相関関係を図にまとめてみた。

※筆者作成

 この図で注目していただきたいのは、星極性の神々と霊極性の神々の関係性である。親密な関係性、例えば親子関係や兄弟関係、師弟関係、主従関係などおいては、同じ星極性あるいは霊極性同士で結ばれていることがわかる。

アルジク(霊)とニメーヤ(霊):兄妹、父母
アルジク(霊)とメネフィナ(霊):父娘
メネフィナ(霊)とオシュオン(霊):恋仲
オシュオン(霊)とナルザル(霊):義兄弟
ニメーヤ(霊)とラールガー(霊):主従
サリャク(星)とビエルゴ(星):師弟
アーゼマ(星)とサリャク(星):父母
ビエルゴ(星)とハルオーネ(星):兄妹
ノフィカ(星)とリムレーン(星):姉妹

 この点の徹底ぶりは、壊神ラールガーと工神ビエルゴ・戦神ハルオーネの関係性に顕著である。壊神ラールガー(霊)は工神ビエルゴ(星)と戦神ハルオーネ(星)の父とされる。しかし、ラールガーは霊極性、ビエルゴとハルオーネは星極性で極性が異なる。なので、父ではなくわざわざ「養父」とされているのである。
 また、霊極性の時神アルジクと星神ニメーヤの娘たち、月神メネフィナが霊極性で、日神アーゼマが星極性であることにもちゃんと理由がある。神話によると、メネフィナとアーゼマは異母姉妹なのである。霊極性のメネフィナはまぎれもなくアルジクとニメーヤの子であると考えられるが、アーゼマはニメーヤではない女神の子であると考えられるのである。
 また面白いのは、旅神オシュオンと恋仲になっている神との関係性である。オシュオン(霊)と恋仲なのは月神メネフィナ(霊)と海神リムレーン(星)である。恋仲から発展するとしたら、同じ霊属のメネフィナなのではないかとの推測もできたりする。
 一点注意が必要なのは、星極性と霊極性の神々は敵対しているわけではないということである。それは、旅神オシュオン(霊)と戦神ハルオーネ(星)が親友関係にあったことからもわかる。
 以上、星極性・霊極性を軸に十二神の関係性を見てきた。図にして視覚的に捉えることで、興味深い発見に繋がったのではないかと自己満足している。そして、本稿で何度も指摘してきたが、星=光、霊=闇である。以上の十二神の関係性から、光と闇の関係性も何となく浮き彫りになってきたように思える。

4.光と闇はいつ生まれたのか
 さて、ここまでエオルゼア十二神について、それぞれの神話や関係性をみてきた。ここからは、エオルゼア十二神が登場する創世神話についてみていきたい(妄想度が増します)。以下、引用するのは神学者リューフォンがまとめたもっともポピュラーな神話である(『EE』18頁)。全文引用は避け、筆者が注目したい冒頭部分だけ紹介する。

はじめに光も闇もなく、この世にはただ渦があった。
最初にアルジクが渦より現れ、時が刻み始めた。またアルジクが重力を創ったことで、この世に地の理がもたらされた。さらに続いて渦より現れたニメーヤは、この世に水の理をもたらし、地に水が満たされた。
アルジクはニメーヤを妹として育てたが、やがて愛し合うようになり、ふたりの娘を儲けた。
長女アーゼマは太陽とともに生まれ、次女メネフィナは月とともに生まれた。こうして、朝と夜ができた。

 この創世神話によると、世界のはじめには光も闇もなかったという。では、いつ光と闇ができたのか。上記の記述を素直に読めば、日神アーゼマと月神メネフィナが生まれて「朝と夜ができた」時=「光と闇ができた」時なのではないかと推察できる。
 つまり、日神アーゼマ=光、月神メネフィナ=闇、であることが考えられるのである。
 さて、ここで拙稿①「エオルゼアの神に関する一試論」を引き合いにだす。拙稿①では、神の実態を大精霊的存在であったと指摘した。意思は持つが姿形の見えない大精霊を、人々(獣人も含め)は畏れとともに神として信仰していたのではないかと考えたのである。なので、同一の存在を信仰しているのに、異なる姿形をしている場合があった(雷の大精霊を、アラミゴ人は壊神ラールガーとして信仰し、シルフ族はラムウとして信仰していた)。
 以上を前提にさらに歩を進めて考えていこう。惑星ハイデリンの一部たる大精霊(六属)が神として信仰されていたのであれば、大精霊の上位存在ともなる光のハイデリン、闇のゾディアークも神として信仰されていたのではないかと考えられるのである。
 先程、光と闇は日神アーゼマと月神メネフィナの誕生により生じたと指摘した。以上の点を鑑みると、光のハイデリンは日神アーゼマとして、闇のゾディアークは月神メネフィナとして信仰されていたのではないかとの仮説がたてられる。特に、ゾディアークに関しては、メインシナリオで月と密接な関係があることがいやらしいほどに示唆されている。
 エオルゼア十二神信仰は、あくまでエオルゼア地域のヒト種族に根ざした信仰である。異なる地域、異なる種族では、神話も信仰している神も当然異なってくる。
 興味深いのは、今回『紅蓮のリベレーター』で脚光を浴びたアウラ族の神話である。アウラ族は、エオルゼアのはるか東、東州オサード小大陸にルーツをもつ民族である。エオルゼアとは異なる文化、神話が語り継がれている。
 そのアウラ族の神話には太陽神「アジム」と、月神「ナーマ」が登場する。太陽と月という類似性から、アジムはエオルゼア十二神におけるアーゼマに、ナーマはメネフィナに該当すると考えられないだろうか。
 つまり、光のハイデリン=日神アーゼマ=太陽神アジム、闇のゾディアーク=月神メネフィナ=月神ナーマ、と指摘できる。光のハイデリンは、エオルゼアではアーゼマとして信仰され、アウラ族にはアジムとして信仰されていたと考えられるのである。意思はあるが姿形がみえない存在だからこそ、このような現象が見られていたとも考えられよう。
 この仮説の妥当性をより強めてくれるのが、以下のモル族族長テルムンの台詞である。

テムルン「あなたは、ひときわ眩い輝きを宿しているのね。まるで、私たちを創りたもうた夜の神を飾る、もっとも明るき星のよう……」

 「私たちを創りたもうた夜の神」とは月神ナーマのことであろう。その神を飾る「もっとも明るき星」とは何か。「太陽神」アジム=光のハイデリンのことではないか。「ひときわ眩き輝き」とはハイデリンの加護(光の加護)とも考えられるのである。

5.光と闇の上位存在?
 神話の話に戻ろう。「日神アーゼマ=光のハイデリン、月神メネフィナ=闇のゾディアーク」という仮説が正しいものとして、さらに考察を続けていきたい(妄想は加速する)。
 私たちは何となく、光のハイデリンと闇のゾディアークが、FF14世界における至高の存在と考えてはいないか。私もこのどちらかがラスボス的存在なのかと信じていたわけである。
 しかしどうだろう。創世神話をみると、日神アーゼマ(光のハイデリン)と月神メネフィナ(闇のゾディアーク)が生まれる前にすでに二柱の神が生まれているではないか!アーゼマとメネフィナの父母たる時神アルジクと星神ニメーヤである。つまり、先の創世神話から、光のハイデリンと闇のゾディアークよりも上位の存在がいることが推察できるのである。ちなみに拙稿「エーテルとハイデリンに関する一試論」では、惑星ハイデリンと光の意思ハイデリンは別物であると指摘した。惑星を司る星神ニメーヤこそが、惑星ハイデリンと考えられるかもしれない(時神アルジクに関しては、事件屋クエストのギギが時魔法を使っていたことが今後重要になりそうな気もする)。
 拙稿で「ハイデリン巨悪説」を唱えたこともあるが、早速この論は破綻した。ハイデリンよりもさらに上位の存在がいたからである(巨悪かどうかは別として)。すなわち、ハイデリンとゾディアークの物語がひと段落ついても、FF14の物語は終わらないのである。全てのFF14プレイヤーのとって朗報であろう。

6.光と闇の関係性
(1)光と闇は敵対関係?
 さて、ここでは光と闇の関係性について考えて見たい。まず、我々が当たり前だと思っていることを今一度問い直す所から始めよう。
 第一に、「光と闇は敵対関係にある」という点である。前述した通り、霊極性の旅神オシュオンが星極性の戦神ハルオーネと親友であること、同じくオシュオンが星極性の海神リムレーンと恋仲であること、霊極性の壊神ラールガーと星極性の工神ビエルゴとハルオーネが親子関係(養父・養子)であることから、完全なる敵対関係にはないことが考えられる。
 ここから妄想できることは、光と闇は敵対関係ではなく共闘関係にすらあったのではないかということである。過去七度の霊災の陰には必ず闇の存在、アシエンが存在していた(『EE』14頁)。しかし、その霊災の度に光の戦士も必ず現れているのである(『EE』15頁)。霊災を前後し、闇の使徒と光の使徒が必ず現れる…………裏で仕組まれた何かを感じざるをえない。
 霊災が仕組まれた災厄ではないかとの疑いは、各属性の並びからも生じる。第一霊災は風の厄災、第二霊災は雷、第三霊災は火、第四霊災は土、第五霊災は氷、第六霊災は水であった。この風→雷→火→土→氷→水の順序は、『六属創世記』の属性の並びでも、エオルゼア十二神の並びでも同じである(始点が風であることには疑問が残るが)。これは偶然と言えるものなのだろうか。

※十二神大聖堂でも同じ並び。

(2)光と闇のイメージ
 常識を問い直すべき二点目。それは、光は「良い奴」、闇は「悪い奴」というステレオタイプの印象である。
 まずもって、エオルゼアの神話に現れた最初の二柱の神、時神アルジクと星神ニメーヤが、両者とも霊極性(闇)であることは注目すべき点であろう。光のハイデリンと闇のゾディアークの上位存在が須らく霊極性なのである。
 日神アーゼマ(=光のハイデリン)は、創世神話に初めて表れた星極性の神であり、アーゼマこそが始原の光と考えられるが、その光より先に闇(アルジク、ニメーヤ)は存在していたのである。「闇>光」の図式が成り立ちそうである。
 物語の根幹としては、日神アーゼマが、星神ニメーヤから生まれなかったことがかなり重要になりそうな気がする。血が繋がってないことへの復讐、なんてことも考えられるのである(光の闇への復讐。ゾディアークを月へ封印したのもその一環?)。また、血の繋がってない妹メネフィナに対し「異常」な愛(執着)を向けていたとも考えられる。オロニル族に伝わる太陽神アジムと月神ナーマの神話などが象徴的である。

 ハイデリンがゾディアークに執着していると考えると妄想も膨らむ。
 本稿でちらっと例示した呪術に関しても、ここで再度ふれよう。呪術士は、MPの管理のため「アストラル(星)ファイア」と「アンブラル(霊)ブリザード」を交互に使用する。ここにも、光と闇の親和性が表れている。そして、アンブラルブリザードの効果に着目したい。自身のMP(エーテル)が回復されるという効果だ。万物の源たるエーテルの回復能力、これにネガティヴなイメージを抱く人はいないだろう。黒魔道士をメインジョブにしている方ほど、闇へのイメージは悪くないのかもしれない。
 その他にも、例えば今回の『紅蓮のリベレーター』で登場した壊神ラールガー。第六霊災の際に、アラミゴの人々を救ったのが、このラールガーだとされる。ラールガーは「霊極性」の神力を有した神であった。

7.星天と霊獄―光と闇の位置関係―
 エオルゼアでは、七つの天界と、七つの地獄があると信じられている。二柱の神々が協力して、それぞれが司る属性の天界を創ったが、これと同時に同じ属性の地獄が出来たという神話である。例えば、旅神オシュオンと海神リムレーンは風天と風獄を、壊神ラールガーと工神ビエルゴは雷天と雷獄を創ったとされる。
 さらにこの他に至高の天界である「星天」と、暗き底に沈んだ地獄の中の地獄である「霊獄」が存在しているという。天界には、夜空に浮かぶ星座「六天座」が門となっており、これを潜ることでたどり着けると信じられている。そして六天座の中央に位置する星、すなわち北極星の向こう側に「星天」があると考えられている(『EE』19頁)。
 ここまでの議論を踏まえれば、星天とは「光の天界」、霊獄とは「闇の地獄」であることが容易に想像できるだろう。
 ここで考えていただきたいのは、星天は空、「上」にあるということである。『六属創世記』でも、星(Astral)=光は上に、陰(Umbral)=闇は下に位置していた。何を当たり前のことを言っているんだとお思いかもしれない。
 改めて考えてみてほしい。星天と霊獄の神話を踏まえると、光に出会うには、空に向かわなければならない。上に進まなければならない。光は上に位置しているからである。

 しかし、なぜ我々は光のハイデリンに会うのに、「逆さの塔」で下に向かったのか?!

 光と闇のイメージ。これまで光だと思っていたもの、闇だと思っていたもの。その全てをひっくり返して考えなければいけないのかもしれない。

史学者 kaede takagaki